アニログ小説「友人Sのひとりごと。」Episode3

本編

「きゃっ」

「さ、佐久間」

飯田の身体に巻きついているのは、数学教師の加藤だった。

若くて、可愛くて、巨乳。

いかにも高校生男子が好きそうな外見で、男だけの密談中にもよく出てくる名前である。

それがまあ、第二学年イチのイケメンとこんなところで密会とは。

――あれ、あんま意外性ないな。

普段から男子生徒に胸を押し付けるようなタイプだからか、妙に納得してしまう。

「……あ、あの。これは」

まるで間男のような登場をキメてしまった俺を見て、二人は目を白黒させながら距離をとった。

飯田は言い訳を考えているみたいだけれど、決定的な現場なだけに、何を言っても真実を覆すのは難しいと思う。

もっとも、俺はこの場で二人の関係性を問い詰める気なんてさらさらないし、説教をするつもりもない。

ただ場所は弁えてほしい、それだけ言うつもりだった。

「……ふ、二人ってお友達?」

「うん、そう、だけど」

「なんだ、よかった。まだセーフ」

つもりだったんだけどね。

何を言ってるんだ、この人。

「……えっと。佐久間君?」

「はい」

「誰にも言わないで、くれるよね?」

俺と飯田が友達だから。

それだけの理由で見逃すと確信しているのなら、だいぶこちらを舐めている。

いや、言わない。言わないけどさ。

――何で教え子を盾にしてるんだよ。

「……とりあえず、二人とも出てってくれますか。俺も帰るし。鍵閉めるんで」

言いたいことは腐るほどあるけれど。

俺はこみ上げてくる苛立ちを抑えるべくぐっと息を吸い込むと、動物図鑑を適当な棚の空きスペースに押し込んだ。

マナー違反だけれど、明日自分で戻すので問題はないだろう。

今はとにかく、この場から離れることを何よりも優先したかったのだ。

「じゃあ、私行くね」

先生は飯田に何かを告げて、何もありませんでしたといわんばかりの軽やかさで図書館から出て行った。

残された飯田は、どうしようという戸惑いをそのまま表情にのせて、こちらに近づいてくる。

「あの、佐久間」

「口止めしろって言われた?」

これまで感じたことの無い類の不快感が、ぐるぐると体内を駆け巡っている。

飯田に対してじゃない。あの女に対してだ。

「大丈夫、言わないよ」

俺はカウンターに置いていた鞄を引っ張り出すと、すっかりしおしおな飯田の背中をぽんと叩いた。

「でもそれはお前の為であって、あの人の為じゃないからね」

「――うん」

色々判断したいので、明日時間を取って欲しい。

俺がそう言うと、飯田は力なく頷いた。

 次の日学校に向かうと、飯田はすでに自分の席に座りつまらなそうにスマートフォンをいじっていた。

悩ましげな表情で頬杖をつく。見目が整っているとそれだけで絵になるからずるいものだ。

女子たちがチラチラ、憧れのまなざしで見ているけれど。

さて、そのラインの相手はどこの誰だろうね?と意地の悪いことを考えてしまう。

「おはよう」

俺は自分の席に荷物を置くと、すぐに飯田の席へと向かった。

弾かれたように顔上げた飯田は、その勢いのまま「おはよう!」と元気な挨拶をして椅子から立ち上がる。

(――いや、不自然!)

緊張する気持ちはわかるけど、いつにない飯田君の元気ぶりに、女子だけでなく教室中の視線が集まった。

今の時間からは朝の課外補習だ。

どうせ参加は任意だし、今日はサボりを決め込むつもりでいたのに。見られるとちょっと後ろめたくなってしまう。

「場所移動しよ」

俺は視線の追跡からいち早く逃れるべく、飯田の背中を押して、教室の出入り口まで向かった。

「――スピンオフ?」

途中すれ違った女子集団が、そのようなことを口走っているのが聞こえたけれど、なんか反応しちゃいけない気がするのでスルー。

なんだよスピンオフて。

バレてんじゃないのか、あの馬鹿カップルは。

 部活の朝練組と朝課外参加者が納まるべきところに収まると、校内は一時的な静けさを取り戻す。

俺達は相談の上、図書館の裏手にある謎の広場に移動した。

ベンチがひとつあるだけの、目的不明の芝生である。

そもそも人に知られてないし、まずこの時間に人はこないであろう穴場だ。

「で。付き合ってんの?」

男二人がベンチに並んで座って、謎の芝生を見ている。

シュールな絵面だなあと思いながら、途中自販機で買ったいちご牛乳のパックにストローを指した。

甘いものが苦手な飯田の手にはウーロン茶のパック。手を出す様子はないが、付き合わせたなら申し訳ない。

「……うん」

「いつから」

「3ヶ月前かな」

「……ふうん」

加藤先生が非常勤としてこの学校来て約半年なので、出会って3ヶ月でそういうことになったということになる。

教師と生徒のハードルってそんなに低いものなのかと驚く一方で、やっぱり妙に納得してしまうあたり、加藤先生の日頃の行いが知れる。

問題は、相手がこの飯田陸だったことだよ。

「先生、一部の女子から凄い嫌われててさ。嫌がらせとか、無視とかそういうのが結構普通にあって。一度そこに、出くわしちゃったんだよね。……それで、それからちょっと心配で見守ってたら、そのうちに、こう」

「なるほど」

ていうか、キャラとか状況が悠里と何も変わらない気がするんだけど。

もしかして、飯田が彼女持ちじゃなかったらあいつでもいいとこいってたんだろうか。

結構ちょろいというか、素直というか。意外なきっかけではある。

「あの、俺」

「ああ、誤解しないで欲しいんだけどさ。俺別に二人の付き合いにどうこう言いたいわけじゃないよ」

前提として。別にどんなきっかけで誰を好きになっても、俺が口を出すことではないと思う。

「でもやっぱり、考えちゃうんだよな。相手が相手だし。心配もしてる」

けれどこうして悶々と考えてしまうのは、秘密を知ってしまった俺が唯一、介入できる立場にあるからだ。

なにせ相手は教師。更に加え個人的に、好意を抱きにくい部分が多々ある人物ときた。

口出しはしたくない。でも、おめでとうも言えなければ応援もできない。なんとも息のつまる現状である。

「まあ場所は考えて。学校でって、危ないだけでいいことないでしょ」

「うん、それはホントに、うん」

救いなのは、飯田が「あの場面」に乗り気ではなかったこと。

恋の熱に浮かされながら、理性でブレーキをかけられていたことだ。

もう絶対にやらない。そう言ってぐっと握りこぶしをつくる飯田にとりあえず安心して、いちご牛乳を一気に吸い込む。

「俺の態度は、今のところ保留ということで」

煮え切らない。けれど今はそういう事が精一杯で。

俺の情けない言葉にも、飯田は「ありがとう」と力なく笑った。

「あ、おはよー飯田君、佐久間君」

「おはようございます」

「おはようございます」

教室に戻る道すがら、問題の女教師加藤と出くわした。

にっこり笑顔の加藤に、どちらかといえば仏頂面の飯田と俺。

多分三人が三人、まったく別のことを考えているということをすれ違う生徒たちは知る由も無い。

俺もそっち側がよかったな。と割と真剣に思う。

その時。加藤の手が、俺の頭に伸びた。

「……うん。いいこいいこ」

いいこ、いいこ。

自分が今、撫でられていると気づいた瞬間、両腕に鳥肌が立った。

(――こいつ)

黙っていられるから。

友達を見捨てないから?

そもそも教師である加藤があんなとこであんなことをするから、俺が面倒な立場に立たされてしまっているのに。

俺は悟った。

こいつは、近づいちゃいけないタイプの女だと。

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