アニログ小説「天使と過ごした一年間」Episode4

本編

【四章:冬の天使】

 天子は、入院した。

日曜日にお見舞いに行くと、病院の真っ白な個室の真っ白なベッドで天子が横になっていた。

腕には点滴のチューブ。顔は青白く、少し痩せたようだった。

「天子」

私が声をかけると、もう冬の景色になった外を見ていた天子が私のほうをゆっくりと向いた。

いつもより元気のない声で言う。

「バレちゃった」

「……うん」

高校で天子が倒れて、私は保健室に駆け込んだ。保健室の先生は事情を知っていたらしい。

すぐに救急車を手配し、天子を病院へ連れて行った。

その後、私は天子のお母様とお話する機会もあり、天子の事情はほぼわかっていた。

天子には心臓の病気があったそうなのだ。

その病気が悪化してきて、春にお父様が単身赴任されている都会の病院に入院する予定だったのだと言う。

天子が「春には帰る」と言い張っていたのはそのせいだった。

「元気になって、戻ってくるんですよね」

私がお母様に尋ねると、お母様は曖昧な顔をして笑うだけだった。

「ごめんね、黙ってて」

天子はことさらに明るく言う。

「ううん」

「お昼ごはん、陽菜と一緒に食べたかったんだけどさ。すごい数の薬飲んでたから、見せたくなかったの。保健室で食べてたんだ」

「そっか」

天子には天子の事情があったのだ。

そんな事情も知らないで、私は、クラスメイトは。

天子が入院したと聞いた途端、クラスメイトは天子に同情的になった。

今までいじめていたことも忘れて、クラスの有志で見舞いに行こう、などと言い出した。

天子はそれを聞いてどう思ったのだろう。

お母様を通じて、見舞いには来ないでくれと伝言があった。ただ、私だけは来てほしい、とも。

私はクラスメイトから同情という名の花束と「早く元気になってね」と書かれた寄せ書きを持たされて、見舞いに来ていた。

本当はこんな寄せ書き、捨ててやろうかとも思ったのだが、そうもいかない。

「……これ、クラスのみんなから。花束と寄せ書き」

私がそう言って天子のベッド脇に花束と寄せ書きを置くと、天子は困ったように眉を落とした。

「寄せ書きって誰が書いたの?」

「クラス全員」

「えー」

天子は非難がましい声をあげた。気持ちはわかる。

「上履き焼いた子も書いてるのかー。寄せ書きも焼いていいよねー?」

「バチは当たらないと思うよ」

私が言うと、天子は満足げに頷いた。

それから、花束のほうへ目をやる。花には罪はない、と思ったのだが。

「私、花束って嫌いなんだよね」

天子はこちらも嫌いのようだった。

「そうなの?」

「だって、すぐに枯れちゃうじゃん。可哀想」

その言葉に、天子はよく花束をもらっていただろうことを知る。

家で花束をもらえば、毎日花瓶の水を取り替えたりして世話ができるだろうが、病院ではそうもいかないのだろう。枯れていく花を見るのはそりゃ気分が悪い。

「天使なら枯らさないようにできるんじゃないの?」

私がそれとなく尋ねると、天子は小さなため息をついて天井を見上げた。

「天使じゃないよ。天使になりたかっただけなんだ」

「天子」

「天使になれれば、天国に行けると思ったから」

天子はそう言って手で顔を覆った。

「でも、陽菜を騙して、私、天国なんかに行けないね」

「そんなことない」

私は強い口調で言う。

「天子は天使だし、そもそも、天国なんかに行かない。もちろん地獄にも」

「陽菜……」

「天子は天使だよ」

私は繰り返した。

「だって、天子は桜とか夏の噴水とか落ち葉とか、私に奇跡を見せてくれた」

「私、何もしてない」

天子は困ったように言う。

「何もしてないよ。何もできないよ。天使じゃないもの」

「だって」

違う。

私が天子は天使だって、信じたかっただけなんだ。だから、奇跡を見た。きっと。

「……ありがとう、陽菜」

天子は私を慰めるように微笑んだ。

「そこまで、私を信じてくれて」

その瞬間だった。

花束の花びらが病室中に舞い上がった。赤、黄色、ピンク。

真っ白な病室を覆い尽くす色、色、色。

ああ、と私は目を細める。

私、また奇跡を見てる。

天使の奇跡だ。そうに決まってる。

花びらが舞う。舞ってふわふわとまた花束に戻る。

瞬きをひとつすると、そこは今までと同じ病室だった。

天子が不思議そうな顔で私を見ている。

天子は、天使だ。

天子は、友達だから。信じるのも当然じゃないか。

 天子の入院は長引いた。

秋の終わりに入院し、冬が始まった。

一人で冬期講習の検討をしていても、天子の退院の話は出なかった。

クリスマスが終わっても天子は病室にいたし、お正月が終わり、冬休みが終わり、また高校が始まっても、天子は痩せていく一方だった。

点滴も1本から3本に増えたし、酸素吸入器を使っていることもあった。

それでも、不思議と天子は私が御見舞に行くことを待っていてくれた。

クラスメイトがもう天子のことなど忘れたように日常を過ごしている中で、私だけは天子と一緒に冬空を眺めていた。

 その日は雪がちらつく日曜日だった。

凍てつくように寒い。病室はさすがに暖房で温められていたけれども、外が寒い分、ガラス窓は曇っていた。

「雪の中、駆け回りたかったなぁ」

天子の声はかすれて小さくなっていた。静かな病室でも、時々聞き逃してしまうほどの小さな声だ。

「犬みたいに?」

私が尋ねると、天子はかすかに笑った。

「うん。陽菜は猫?」

「そう。こたつで丸くなってる派」

私と天子は笑った。久しぶりに天子の楽しそうな笑い声を聞いた気がする。

「春まで、もたなかったなあ」

天子が寂しそうに言った。

「一年間、陽菜と普通の友達として色々遊びたかった」

「来年の冬があるじゃん」

私は慌てた。これじゃあ、本当に天子がどこかへ行ってしまいそうだ。

「春だってすぐ来るよ。またジェラード食べに行こうよ」

「冬にジェラードは寒いもんね」

天子は少しだけ話をそらす。そらしてから、私のほうへゆっくりと手を伸ばした。

真っ白な、管のついた、細い細い手。

「陽菜、手を握って」

言われるまま、私は天子の細い手を握った。

天子の手は冷たかった。天子は二回深呼吸をすると、言った。

「転院が決まったの」

「転院?」

「お父さんの近くの病院に移って手術するんだって」

私は少しほっとした。

「なんだ、手術して、また帰ってくるんでしょ?」

「ううん」

天子は泣きそうな顔で首を振る。

「手術しても、退院できないの」

「どうして」

「どうしても」

それほどまでに天子の病気がひどいと知り、私は固まった。

嘘でしょ、と言いたい喉を押さえる。

問い詰めたって、天子を困らせるだけだ。

「……いつ、転院するの」

「来週。ようやく都合がついたから早いうちにって」

「じゃあ」

「陽菜に会えるの、これが最後なの」

「最後なんて言わないで」

私は慌てて言う。

「御見舞に行くよ。遠くても。週一は無理だけど。絶対に行くから」

「ううん」

天子はついに泣き出した。ぽろぽろと真っ白な頬に涙が溢れる。

「これ以上、私を見ないで」

「天子……」

「痩せて不健康になっていく私を、陽菜に覚えていてほしくない」

私は何も言えない。私に会うことさえ、天子には辛いことになってしまったんだ。

きっと、それは最後まで友達でいたいから。

「……わかった」

私は涙をこらえて笑った。

「私の中の天子は、病院なんかにいない。天使の天子だ」

天子は声をあげて泣き始めた。泣いて苦しくなったのか、酸素吸入器をつかんで口に宛てた。私は、それを見ないように天井を見上げた。

真っ白な天井が眩しくて、私は涙をこぼした。

 雪が降る。

私は時々天子に手紙を送る。返事は来ない。

お母様から「ありがとうございます」とだけスマホに連絡がくる。

じきに雪は雨になる。春が近い。

手紙は書き続けている。桜の蕾がちらほら見える。

天子、出会った春が来るよ。

天子。

 久しぶりに冷え込んだ夜だった。

春も間近で季節が逆戻りすることがある。

そんな、名残の冬の夜だった。

部屋で勉強をしていると、窓が揺れた。風かな、と思い顔を向ける。

窓の外から天子が手を振っていた。

待って、ここ二階だけど!?

私は慌てて窓を開ける。天子は出会ったときの美少女のまま、背中に大きな白い翼をはやしていた。

ああ、天子は本当に天使になったんだ。

天使になって最後の挨拶に来てくれたんだ。

私は足の力が抜けて座り込む。天子はそんな私を見て笑ったみたいだった。

天子が手を振る。バイバイ、と。

そして、天子は冬の夜空へと消えていった。

キンと冷え込む藍色の空だった。その日は星がよく見えて、天子の姿はすぐに星にかき消された。

同時に、スマホが鳴った。わかっていた。

私は光を放つスマホを覗き込む。

天子のお母様から、天子が亡くなったことを知らせるメールが入っていた。

悲しいことなんかない。天子は天使になったんだから。

そう思いながら、私は泣いた。

私は、きっと忘れない。

天使の友達がいたことを。その子と一年を過ごしたことを。

春の桜、夏の噴水、秋の落ち葉に冬の雪。

どこにだって天使はいて、天子は笑っていたことを。

またね、天子。

さよならは言わない。天使になったのなら、きっとまた会える。

だから、いつかまた会える日まで。今は少しだけ泣かせてね。

 ――私は陽菜の守護天使だから。

いつかの天子の声が聞こえたような気がした。

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