アニログ小説「友人Sのひとりごと。」Episode4

本編

 あの図書館の事件から一ヶ月。

秘密を二つも共有してしまったせいか、俺と飯田の距離は自然かつ穏やかな速度感で縮まった。

それについて、親友たちもなにやら安心しているらしい。

最近では俺らに遠慮することなく二人で飯を食い、自由時間の大半をお互いに費やしているようだ。

こんな幸せなカップルもいるというのに。

「なあ」

「うん?」

「昨日ちゃんと寝た?」

どうしてこいつは、こんなにしんどそうなんだろう。

目の下のクマを指摘してやると、飯田は制服の袖でごしごしと目元を擦った。

それ、擦っちゃ駄目じゃなかったっけ。

思わずその手を掴んで、机の上に戻す。

「……昨日は寝落ちしてた」

「スマホみながら?」

「うん」

「眠れないやつじゃん。やめとけ」

ここのところ、飯田は常にぼんやりとしている。

これまでほとんどなかった授業中の居眠りもちらほら出てきて、担任がカウンセリングにやってきたほどだ。

その時は「ちょっと寝つきが悪いだけ」と誤魔化していたけれど。――そうじゃないだろう。

「……上手くいってないの?」

何分、経験地が足りないので。なんとなくとか遠まわしとか、そういう思いやりのある技術がない。

直球質問を投げかけた俺に、飯田は一瞬、目を見開いた。

そういえばこの話題に触れるのはあの日以来だ。なんとなく気まずくて……というか、俺の中のあの人のイメージが最悪に近いものだから、迂闊に触れないようにしていた。

やめとけよあんな女。って、言いたくなる。

それは余計なお世話だろうし。アドバイスでもなんでもない。私情だ。

「……別に、そういうわけじゃないよ」

もごもご。飯田らしくない弱弱しい言葉に、めげずにじっと視線を送る。

「……ただ、ちょっと時間が合わないのかなって」

「時間?」

観念したらしい飯田は片手で俺の両目を塞ぎながら、小さな声で現状を語ってくれた。

「んー……寝ようかなって思ったら、電話かかってきたり。ラインで起こされたり……ほら、やっぱあっち大人だから。仕事で遅くなったり、飲みに行ったりあってさ」

「……寝てて出れなかったよゴメンじゃだめなの?」

これはかなりもまずい状況だと思う。メンタルもそうだけど、身体への影響がダイレクトにくるやつじゃないか。

「それが許されるなら、やってる」

「なるほど。」

大人が聞いて呆れる。それが素直な感想だった。

相手の体調を思い遣ることもできないとか、どうなんだよそれは。

「でも、喜んでくれるから」

だからいいんだよ。って。全然よくない顔色で飯田は笑う。

きっと飯田は、本当にいい彼氏なんだろう。でも。彼女はいい彼女なのか?

自分の都合につき合わせ、振り回し、きっと何も悪いことはないと思っている。

男女である前に、大人と子供で。そこにはっきりとした上下が見える。

俺はこの付き合いを黙って見ていてもいいんだろうか。

せめて俺らの親友たちのように、うっとおしいくらい浮かれていてくれたら、俺だって悩んだりはしないのに。

「しかめっ面」

「あ?」

「難しい顔ちゃって。何悩んでんの」

昼休みの相方である飯田がこそこそとどこかに消えてしまったので、俺は一人で、自販機コーナーにむかった。

いつもだったら、食後はフルーツオレ決めうち。

でもなんとなく、コーヒー牛乳が俺を呼んでいる気もする。

そんなきわめて平和な悩みに指を彷徨わせていると、オレンジ色の爪をした細長い人差し指が、フルーツオレのボタンを押した。

「おい、何勝手に押してんだよ」

「あんた、ゲロみたいに甘いの好きじゃん」

あまり女子と関わりの無い俺に声を掛けてくる女子なんて限られている。

同じ班の子とか。図書委員の子とか。

幼馴染、も一応その限られた女子の一人といえなくもない。

「何か用?」

俺はゴロンと排出されたフルーツオレを取り出すと、改めて松田悠里と向き合った。

短いスカート。栗みたいな色に染められた髪。

化粧も多分してるし、この甘い匂いは香水だろう。

全身校則違反でコーディテートされていて、ここまでくると今更突っ込む気にもなれない。

「あのさ、1組の高木って知ってる?」

「高木……誰」

「女子だよ。結構可愛いって言われてんのに、あんたほんとそういうの駄目ね」

「学校に何人女子がいると思ってんの」

可愛いというふわふわとした情報だけで女子を特定しろといわれても困る。

俺の苦情に、悠里はふん、と鼻を鳴らした。

「……まあいいわ。その高木って子、私友達なんだけど」

「え」

「何」

「お前女子の友達居たの」

「はあ~?! いますけど~?!」

そうか。友達いたのか。良かった。

仲良くなくても、一応は幼馴染である。

特に心配をしたことはないが、その情報に安心するくらいの情はあるつもりだ。

「その、高木がね! あんたのこと気になってるんだって! ……だから今度、時間とれないかなって」

「ほう」

その希少価値の高い友人の高木さんが。気になっている。

誰を、どのように?

「何その反応」

「いや……全然ピンとこない」

まあそこまでとぼけるつもりはないけれど、はいそうですかと受け入れるには少々情報が少なすぎた。

なにせ俺は高木さんを知らない。

なので当然、好意をもたれる理由もまったくさっぱり見当がつかないわけで。

「そ、それはそうでしょうね。モテない陰キャ君に高木ってどう考えてもつりあわないし」

「だよね。だから断っといて」

そんなことに付き合ってられるか。

この結論が出るまでに10秒もかからなかった。

「……興味、ないの」

「無い。……っていうか、今それどころじゃないんだよ俺は」

他人事が盛り上がりすぎて、自分のことにまで手が回らない。

悲しすぎる現実に、眩暈がする。

「……なにどうしたの」

俺の様子があまりにもおかしかったのか、悠里が気遣うような目で(不審そう、ともいう)顔を覗き込んできた。

――近い。

思わず近づいた分だけ体を逸らし、俺らに相応しい距離を保つ。

昔ならこれくらい当たり前だったような気がするけど、残念ながらもう、俺は「男」で悠里はどこからどう見ても「女」だ。

傍からみても、心情的にも不適切である。

(そういや、似てるんだった)

そういえば。あの先生と悠里。

キャラクター的に結構近いんだったな。

そう思うと、目の前の見慣れた女子にも少しだけ興味が沸いた。

――悠里ならならどうするだろう?

「……友達がさ、そう、たとえば高木さんが、どう見ても幸せではない恋愛をしていたら、どうする?」

「は? 高木が? ありえないんだけど」

「たとえばだって」

けれどぽろりと零れたこの質問は、好奇心からくるものじゃない。

溺れる者の藁であり、紛うことなき俺の弱音だった。

誰かに聞いて欲しかったし、誰かに、聞いてみたかった。

俺は多分自覚よりもだいぶ弱っていて、正確な判断能力を失っている。

「……幸せじゃないって、どういう感じ? DVとか」

「暴力はない、けど。すげえ振り回されてる感じ。全然笑わなくなって、幸せそうには見えない」

「ふむ」

「……それにちょっとワケあって、付き合いそのものにリスクが伴う相手なんだよな」

「止めるわね」

そんな優柔不断な俺とは対照的に、悠里は殆ど迷うことなく、とてつもなくはっきりとした答えを出した。

「言い切ったな」

「幸せじゃないなら、リスクを犯してまで付き合うべき相手じゃないでしょ」

「幸せそうじゃないっていうのは俺の勝手な感想だぞ」

「そう見えるなら、だいたい実際もそうよ。こういうの得意じゃないけど、私は主観より客観のほうが信用できると思うわ」

悠里は多分、高木さんがそういう立場になったら本当に「ちゃんと」止める。

俺みたいに言い訳をしないで。

友達のために、ダメなものはダメだと言ってしまえるだろう。

「……あんただってホントはわかってんでしょ。やめたほうがいいって。なのにそれを見過ごすのが友達なの?」

ぐさっと、心臓を一突き。

悠里の力加減を知らない言葉は、的確に俺の急所を捉えた。

やめたほうがいい。それはわかっているんだよ。でも。

「……ま。あんたは気が優しいしね」

違う。俺は優しくもないし、いいやつでもない。

いいやつでいたいから。言えなかったんだ。

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