アニログ小説「おふ恋」Episode1

本編

【第一章:一】

 暗い部屋の中、ぼうっと光を放つパソコンの画面右下には1:15AMと表示されていた。

夕飯を済ませシャワーを浴びてから開始したので、かれこれ5時間は過ぎているだろうか。

それでもマウスを握る右手はカチカチとクリックを機敏に打ち鳴らしていた。

ユージーン:このモブを倒せばレアアイテムゲットだぞ! みんな、気合いしてかかるのだー!

ナイトレイ:おー!

マリオネット:最近獲得したこの大斧でやったるわ

キャンディ:頑張る ٩ʕ•ﻌ•*ʔو 

スウ:ほら、来るよ

ガガガガガガ―!

と大地が避け、地面を揺るがしながら、岩の巨人が出現。そこにトライデントを振り翳し、戦いを挑むユージーン。

しかし、巨人は仰け反りながらも、右の拳を高く上げ、パーティの目の前にドカンと振り下ろした。

ナイトレイ:つっ、強い!

マリオネット:あいたー

キャンディ:ちとまずい

ユージーン:弱音を吐くなぁー!

スウ:攻撃の前後に隙ができるから、そこを叩けばいいかと

ドーン!

と巨人より続けざまに攻撃、岩の塊が放られる。ユージーンは即座にパーティの目の前に立ちはだかり、その岩を粉々に砕いた。

ユージーン:みんな、今のうちだ! 攻撃ー!

戦士、ダークナイト、黒魔術師はそれぞれの必殺技や呪文を駆使し、巨人の足元や頭にダメージを与え、HPを徐々に削る。

そしてついに、ドシャーッ!という荒々しい音と共に敵は砕け散った。

亡骸には輝くクリスタルがふわふわと浮いている。

ナイトレイ:やった!

ユージーン:素晴らしいぞっ! ナイスチームワーク!

マリオネット:報酬じゃい

スウ:お疲れ様でした

ナイトレイ:それじゃあみんな、明日はオフ会だから!

マリオネット:せやな、これで気分良く会えるわい

キャンディ:(ू•ω•ू❁)ワクワク

ナイトレイ:楽しみだね、キャンディ♪ スウも、ユージーンも来れるよな?

スウ:多分

ユージーン:ああ、多分

ナイトレイ:では明日の夜7時に!

そう、俺はこのギルドの初オフ会が楽しみで楽しみで仕方がなかったのだ。何を隠そう、キャンディに恋心を抱いていたから。大学3年を目前にしながらも、NO彼女という不運が俺に付き纏っていた。

この機会を逃したら失意のまま4年生を迎え、就職活動に忙しくなり、青春を謳歌できないまま大学時代が終わってしまうのである。

だからこそ思い切ってオフ会を提案、俺はこれに懸けていた。

そして明日ついにその日が来る。

告るぞ、キャンディ、待っていてくれ——。

◇◇

 その晩は全く眠れず、朝になれば重い瞼を擦り大学へ出向いた。

「……ですから、マクロ経済をグローバルな観点から鑑みれば、その問題点となるのは……」

眼鏡の華奢な大学教授のぼそぼそとか細い声が子守唄のようにさえ聞こえてくる。周りには勉学に勤しむ学生達の姿。

ただ、今の俺には、マクロもミクロも関係ない。講義も右から左へ筒抜けである。何故なら今夜、俺の人生において最大のビッグエベントが待ち受けているのだから。

恋、それは人類、いや、この世の生命体にとっての本能であり、生きとし生けるものにとっての大切な営みである。

俺はその大切な営みをこの野郎ばかりの経済学部に入ったばっかりに奪われてしまい、楽しみだったキャンパスライフを全くエンジョイできないまま時が流れ、今に至っている。更にはふと見つけたネトゲにハマり、完全に非リア充の廃人と化していた。

もうすぐだ、ハッピーライフまでのカウントダウン、5、4、3、2、1……

「それでは、今日はここまでにします」

という教授の号令と共に講義室を走り去った。

「このバラ一本ください!」

「はい、ありがとうございます」

丁度良い長さに切ってもらった真っ赤な薔薇を胸ポケットに挿すと、そこから漂う甘い香りがムードを高めた。

この薔薇を俺だという目印にする、とメンバーには伝えてあり、キャンディが来ればプレゼントしようと考えていた。これが親密な関係になるためのファーストステップになって欲しい、という願いを込めて。

待ち合わせ場所である駅前広場に、予定よりも大分早く着いてしまったようだ。6月の半ば、雨上がりの空から垣間見える夕日は次第に落ちゆき、部活帰りの学生や、仕事終わりのサラリーマンで賑わっていた。

6時半か、あともう少し……

ゴゴゴゴー、という音と共に電車が到着。その度、ざわざわと人だかりが改札を抜け、更なる混雑を作り出す。それを幾度か見送り、もうすぐかなと胸をぐいっと張り強調させた時だった。

「なぁ、あんた」と、声がした。

見れば中肉中背のおばさんが佇んでいる。一口食べたのだろう、口型に欠けたどら焼きを片手にこちらをまじまじと見つめていた。

道でも尋ねたいのだろうが、今は少し忙しいのだが……

「もしかして、ナイトレイかい?」

そう言ってもう一口どら焼きを頬張る。もごもごする口元、口紅の剥げかけた唇に目を奪われながら、俺の脳は現実を把握できないでいた。

え……え、えうそ、え、うそだよな……

「あたしだよ、キャンディ」

ザ・BBAパーマのかかった白髪隠しの茶髪、シミ隠しのファンデを惜しみなく塗り重ねているこのオバハン、いや、この中年女性がキャンディな筈はない。何かの間違いだ、そうに違いない。

「キャンディってお前、オバハンやないかっ!」

これは俺の心の声だろうか、いや待て、俺は関西弁を話さない。目だけきょろりと横に流すと、短身の色黒中年男性が立っていた。

「もしかして、マリオネット? 現実でも口悪いわねぇあんたぁ」

と自称キャンディが応戦する。

「すっかり騙されたわぁ、カワイ子ちゃんやと思っとったさかい」

「騙されたって何よっ!」

興奮のあまり握り潰されたどら焼きが崩れ落ちそうだ。俺はそれを受け止めるべくさっと手を伸ばした。

「俺はずっと俺のままや。あんたはこーんな顔文字とかこーんな顔文字とか使ってかわい子ぶってたやないかいっ、オバハンはあんなもん使わんっ」

こーんな、と言う度両手でニャンと猫のポーズをしたり、テヘッと照れるポーズをするマリオネット。

「いいじゃないの誰が使ったって、ねぇナイトレイ」

うん、いいんだよ、いいんだが、俺も騙された気持ちでいっぱいなのだよ、キャンディさん……

「あれは……自作の顔文字……なんですか?」

「ううん、娘が考えてくれたのよ、凄いでしょ」

ガッテン

「それに、あんただって人の事言えるような容姿じゃないじゃないの。何だか小汚いっていうか、ジャージっていうの? それ。ねぇ、ナイトレイ」

まずいぞ、このまま仁義なき罵倒合戦を繰り広げれば、ギルド崩壊にもなり兼ねない。

さて、どうしよう、どうしたらいいんだ……

「髭ぐらい、剃った方がいいかと」

という声は、そんな時に聞こえた。

一時休戦。見れば全身黒系、キャップにTシャツ、ショートパンツとメンズのような恰好をし、携帯をいじっている少女がいた。

「もしかして、スウ?」

と聞けば、こくんと頷く。

「スウちゃんは、そのままねぇ」

「はっはー、そうだな。ゲームのクールな感じがよう出とるわい」

マリオネットの笑いに紛れるように「あ、あのぅ」という亡霊のように消えかかりそうな音がした。

いつからそこにいたのだろう、スウの背後に寄り添うようにしてひょろ長い色白男が立っている。両手を胸元に組み合わせ、恥ずかしそうに俯いていた。

あとひとり残すのは、彼だけなのだが、まさか……

「もしかして……」

と問いかけると、数秒の間を置いて、彼はごくんと唾を呑み込み、こう囁いた。

「ユ……ユージーンです……」

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