本編
【一章:春には春の】
隣の席の女の子は、控えめに言っても美少女だった。
色素の薄い髪は天然パーマなのかふんわりとカールしていて、それを校則どおりひとつ結びにしている。
長さは胸元まで。肌も真っ白。日焼けなんてしたことがなさそうな白さ。それにたぶん、化粧もしてない。
ぱっちりと大きな目に小さな鼻、小さな唇。肩幅も細く、華奢で折れそうなお人形のようだった。
そんな女の子が隣の席で物憂げに窓から校庭を眺めている。
スマホのカメラで撮ってSNSにでも上げたらバズりそうだとすら思った。
なんて話しかけようかと私が迷っていると、クラスメイトのカナが私を手招いた。
「陽菜(ひな)」
呼ばれて意識をカナへと向け、そちらへと寄る。高校二年になったばかりの教室はごった返していた。
色々な人が挨拶をしたり、歓喜の声を上げたりしてる。カナは高校一年のときの私のクラスメイトだ。
まあ、クラスメイト以上友達未満という感じ。
「どうしたの、カナ」
「陽菜の隣のさー、あの子。神山天子(こうやま・あまこ)って言うんだけど」
「よく知ってるね、カナ」
「知ってるも何も、有名だよ。陽菜はそういうの疎いから教えておこうと思って」
「何を」
私が首を傾げると、カナは手を口元に添えてひそひそと言った。
「あの子、『電波』なんだよ」
「は?」
思わず聞き返す。
「は? じゃないよ。気をつけな。自分を天使だとか言ってるらしいから」
「はあ……」
なるほど、それは「電波」だ。
「でも、天使的な可愛さではあるよね」
「だーかーらー、陽菜のそういうところが疎いんだってば。下手に関わり合いにならないほうがいいよー」
ああ、そういうことか。
たぶん、神山天子は高校一年のときに電波だからって理由でいじめられていたんだろう。
カナは「だから近づくな」と言っているのだ。
近づけば、私もいじめられると。
女子は群れで動くものだ。群れから外れた行動を取れば「異質」としていじめられる。
よくあること。よくあることだけども……。
あれだけ可愛いのに、勿体ない。
私はその時、そう思ったのだ。それほどまでに神山天子は美少女だった。
私、工藤陽菜は取り立てて特徴のない普通の高校二年生だ。
髪だってこっそりカラーは入れてるけど高校にばれない程度だし、化粧だって高校にバレない程度の薄化粧。
みんなのマネをして、流行りに乗り遅れないようにしてる、本当に普通の高校生。
打ち込む部活も特にないし、推しもいない。群れてつるむのが嫌いなので、友達もできるだけ作らないようにしている。つまらない毎日だ。
桜も散った春のある日、私は掃除当番のじゃんけんに負けて、ゴミ箱を焼却炉まで運ぶことになった。
女子一人でようやく持てるだけのゴミ箱を運んで、焼却炉にゴミを捨てる。面倒な当番だった。
そこに、神山天子が立ち尽くしていた。靴下姿で、上履きは履いていない。
隣の席にはなったけれども、私は周囲の目を恐れて、神山天子とは今まで一度も話したことがなかった。これは千載一遇のチャンスだ。
「どうしたの」
できるだけ普通の声で尋ねたつもりだった。けれども、緊張で声は少し上ずっていた。
神山天子は弾かれたように私を振り向いて、「工藤さん」と困った顔になった。
「どうしたの」
繰り返す。彼女は、迷ったように視線を右、左、と動かしてから言った。
「上履き、焼かれちゃった」
「え?」
「あ、でも気にしないで! 私、天使だから上履きなんてなくったって平気だし!」
どんな理屈だ。
焼かれたってことはいじめの一環だろう。陰湿な手を使う女子もいたものだ。
「スリッパ持ってくるよ、さすがに靴下じゃ汚れちゃうでしょ」
私が言うと、神山天子は首を振る。
「工藤さんに迷惑がかかっちゃう」
「スリッパくらい平気だよ。隣の席の仲じゃん」
その言葉に、驚くほどぱっと神山天子の表情が明るくなった。
「気づいてくれてたんだ」
「当たり前でしょ。神山さんみたいな可愛い子、覚えてないはずないじゃん」
言ってからしまったと思う。これではストーカーみたいじゃないか。
神山天子はきょとんとした顔をしてから、ぷっと吹き出した。そのまま、お腹を抱えてあはは、と笑う。その笑う姿もさすがは美少女、可愛い。
「やーん、工藤さんみたいな可愛い子に可愛いって言われちゃったー」
「誰が可愛いよ。もう、スリッパ持ってくるから、そこで待機!」
「待って待って」
神山天子は笑いながら、私の腕を取り止める。
「スリッパ履いたら、スリッパも焼かれちゃう。大丈夫だから」
「でも」
「それより、あのね。陽菜って呼んでもいい? 私のことも天子でいいから」
突然の告白めいた言葉に私は固まってしまう。なんだこれ。
こんな美少女にうるうるした目で頼まれたら頷かないわけにはいかないじゃないか。
「教室では呼ばないから。お願い」
「別に教室で呼んだっていいよ、じゃあ……天子」
天子はにぱあと嬉しそうに笑う。両手を頬にあてて、くるくる回った。
「やだあ、お友達になったみたい。嬉しい」
「別にそのくらいで喜ぶことないでしょ」
そう言って、私はふと気づく。
ひょっとして、天子には今まで友達がいなかったんじゃないか。
だとしたら……そりゃ、嬉しいだろう。
なんだか、天子の闇をみたようで、悲しくなる。
私は持ってきたゴミを焼却炉に放り込みながら言った。
「足、冷たいでしょ。一緒に教室戻ろう」
「陽菜は、聞かないの?」
天子は心配そうに私の顔を覗き込んだ。私は空になったゴミ箱を片手で吊るして聞く。
「何を?」
「私が天使だってこと」
それは、どう答えればいいんだろう。さすがに電波だなあとは思うけれど、私に迷惑がかかるものでもない。
「いいんじゃない?」
だから、私はひどく適当にそう返事をした。天子は息を飲む。驚いたんだろう。
「いいの?」
「まあ。うん」
迷惑かからないし、とはさすがに言えず私は曖昧に頷く。
不思議なことはそのときに起こった。
もう散ったはずの桜がふいにクラッカーが弾けるような幸せな音をして、咲き始めたのだ。
パン! パン! パン!
音にあわせて、桜色が開く。こっちの桜色も、あっちの桜色も。
天子の背後があっという間に桜色に染まる。天子は、幸せそうな笑みで私を見ていた。
「ありがとう、陽菜!」
パン! パン!
散ったはずの桜が咲く。それはありえないこと。なのに、私はそれを何故か受け入れてしまっていた。
ああ、そうか。天子って本当に天使なんだ。
天使だから、こんな風に桜に祝福されちゃうんだ。
桜の中で笑う天子はやっぱり美少女で……私はスマホをそのとき持っていなかったことをひどく後悔したのだった。
帰りに、天子の汚れた靴下を買い替えに駅ビルへ寄った。
手頃なスクールソックスを一足だけ買うと、天子が言った。
「寄り道してもらったお礼にアイス奢るよ」
「いいよ、悪いって」
「ほら、天使って言っても陽菜なんにも言わなかったし! その感謝もこめて!」
「それはすごい現金な天使だな」
私と天子は顔を見合わせて笑った。なんだか昔から友達みたいだ。
駅ビルのジェラード屋さんでピスタチオのジェラードを奢ってもらう。天子はミルククリームをちびちび舐めている。
「ここのジェラード屋さんってさー、憧れだったんだよねー」
天子は嬉しそうだ。たぶん、友達のいなかった天子は、友達と寄り道をするのも初めてなんだろう。
「盛り付けがさ、綺麗な三角錐じゃない。あの技術すごいよねえ」
「変なところ見てるね、天子って」
「でもさ、このかたちがジェラードって感じでいいんだよね」
「天子の感性ってわかんないなあ」
「まあ、私、天使だし?」
天子と私は声をあわせて笑う。
さっきまで電波だと思っていたけど――もちろん、今でも本当かどうか信じられないけど――天子にこうやってさらりと言われてしまうと、なんてことないことのように聞こえてしまう。
レベルとしては「私、女子高生だし?」と同じくらいだ。
不思議と天子とは気が合った。
私がそう思っているだけかもしれないけれども。変な遠慮なしで喋れる。
クラスメイトの顔色を伺いながら喋る、あの胃の痛くなる感じがない。
ジェラードも終わる頃、天子が寂しそうな表情でぽつりと言った。
「学校では私に関わらないほうがいいよ」
「なんで」
「だって、陽菜もいじめられるよ」
それはそうだろう。
群れから外れた者に関して、女子というものは容赦しない。
けれども、「そうするね」と頷くのははばかられた。
天子は、こんなにも寂しそうなのに。
「……私天使じゃないから、上履き焼かれたら困るなあ」
代わりにこう答えると、天子は嬉しそうに笑った。
「陽菜のそういうところ、好き」
また、返答に詰まってしまう。
天子は感情の変化がわかりやすすぎて、困ってしまう。
天子は最後のジェラードを舐めてから、歌うように言った。
「私にはもうすぐ羽が生えるの。ううん、ひょっとしたら人の目には見えていないだけで、もう生えているのかも。その羽が生えたら、空へ帰るんだ」
「帰っちゃうの?」
どこへ帰ると言うんだ、と私が問うと天子はごく当然のように頷いた。
「帰るよ、だって天使だもの。私、人間界には向いてないんだ」
「まあ、ねえ」
普通の人と馴染めないのは認める。
こんなことをジェラード食べながら言うあたり、やっぱり電波なのかもしれないとも思う。
「でもね、帰るまで一年ほどあるの」
天子はそう言うと、ジェラードのゴミを丸めて捨ててから私を振り返った。
「その一年の間、陽菜は友達でいてくれる?」
「別に帰らなくってもいいのに」
「そんなこと言ってくれるの、陽菜ぐらいだよ」
天子はまた寂しそうに笑った。
「上履き焼かれて寂しい私に、優しくするとつけあがっちゃうよ?」
「はいはい。じゃあ、帰らなくなったらちゃんと言ってね?」
天子はうん、と頷いた。
「陽菜だけにはちゃんと言うよ。じゃあさ」
天子は小指を差し出す。
「ゆびきりして」
「なに」
「一年の間、友達って」
私は少しだけ迷う。
1年生の間は、面倒事が嫌で友達をできるだけ作ってこなかった私だ。
それがこんな面倒な子と友達になるなんて。
でも。
私は天子の指と自分の小指を絡ませた。別にクラスメイトに天子と友達だということがバレてもいいと思った。
だって、天子はこんなにも寂しがっている。
「それより、明日の上履きはどうするの」
私が小指を離しながら尋ねると、天子は余裕の笑みを浮かべた。
「去年も同じようなことあったから。予備、買ってある」
天子はなかなかに壮絶な1年生時代を送っていたようである。
「焼かれないように魔法でもかけておきなよ。天使でしょ」
「天使は魔法使いじゃありませーん」
「似たようなものじゃん。面倒だなあ」
私の言葉に天子が笑うので、私も笑った。
こうして、私は天子が空に帰るときまで、友達になった。
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